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インフレにできるものなのか

2016.10.16.Sun.21:55
政府と日銀の異次元緩和による消費者物価上昇率2%の目標というのは、今のところ達成できるような状況にはなっていない。今後日銀は、量から金利へと大きく緩和政策の軸を転換させるそうだが、そもそも今の時代に人為的にインフレにすることなどできるのだろうか。

一昔前までは物不足の時代である。人類の歴史の大半は物不足の時代であった。だからお金よりも物に価値があり、通貨供給量が増えるとすぐインフレになってしまった。

現在は生産力過剰の時代である。売れるものはすぐに大量生産して、値下げ競争になってしまう。

物を所有するには限度がある。使わない車を何十台も持っていてもしょうがない。
一方お金はどんなに持っていても、困らない。

為替相場による輸入価格の上下や、数字のあやで物価が多少上昇することもあるかもしれないが、どんなに金融緩和しても、生産力過剰の状態が変わらないのなら、畢竟インフレにならないのではないのか。

問題を解決する

2016.10.10.Mon.23:20
昔、各種創造技法を勉強した時期がある。どれもこれも当たり前のことばかり書いているのだが、それでも今の自分に役に立っている部分はある。たとえば会議や打ち合わせ、雑談などで、頓珍漢なことをいう人がいるが、私はそんな人を初めから頭ごなしに批判などしない。そんなことをしていたら、発想のキャッチボールができる人をどんどん失ってしまう。発想は質より量である。初めは正解にこだわらない。知らないことに出くわしても知っていることから類推する。自分の専門分野以外にも興味を持つ。

マーフィー本に、潜在意識が問題解決のヒントになる話がよく出てくる。夢は潜在意識を視覚化したものだという。「宝島」を書いた小説家のスティーヴンソンは、眠る前に潜在意識に暗示をかけていたそうだ。潜在意識に自分が眠っている間に物語を展開するように頼んでおき、夢の中に展開されたことを、目が覚めてから文字にしたのだという。

この方法を試してみたが、私の場合は夢では問題解決のヒントは得られなかった。代わりに私がよくやるのは、夜に問題点を整理して、いったん忘れて寝てしまうことである。そうすると朝、顔を洗っているときとか、通勤途中とかに、解決策が閃くことがよくある。

本当に朝閃く。閃くといったらオーバーかもしれないが、混乱時に気付かないことに、朝気が付く。

ちなみにお酒を飲んでも何も解決しない。ただ現実逃避をしているだけである。

少数意見を通す方法

2016.10.02.Sun.21:22
行動科学によると、次の3つの条件を満たすときに、少数意見が影響力を持つのだという。

1.少数派内部で意見が一致している。
2.その少数派が独断的であるとは多数派から思われていない。
3.社会的な趨勢が少数派の主張に有利に働く。

まるで日本共産党の活動方針のようである。日本共産党は、どんなに間違っていようが赤旗の思想で一枚岩だし、主要マスコミからも擁護されておりその主張は必ず記事にも反映される。そして自分たちに有利な事件が起きるのを執念深く待つ。

民族主義勢力は、自分たちの勢力、影響力拡大のためにも、もっと人間の心理面を研究したほうがいい。
1.民族主義者同士で乱れない。特に政策面で激しく対立してはいけない。
2.民族主義者の意見には耳を貸さないような状況を作ってはいけない。民族主義との共通性が認められる保守主義者などの多数派とのパイプを作っておく。
3.時流を待つ。民族主義は正しいのだから、必ず事件、事故で有利な状況が訪れる。

生きがい

2016.09.27.Tue.23:53
私は普段、生きがいとは何ぞやなど考えずに生きているが、定年退職前後に、生きがいとは何かを考える人が多いようだ。生きがいとはまじめに考えると、漠然とした概念である。この子は私の生きがい、みたいな対象を指すのか。満足、達成などの精神状態を指すのか。

神谷美恵子は著書「生きがいについて」で、1.生存充実感への欲求、2.変化への欲求、3.未来性への欲求、4.反響への欲求、5.自由への欲求、6.自己実現への欲求、7.意味と価値への欲求、という7種類の生きがいの種類を具体例とともに挙げているが、これらを全部まとめて言えば、想いを実現することであるといえる。

私は、生きがいとは何かと聞かれたら、想いを実現することと答えている。

自分の想いを実現するのが、生きがいの第一段階だと思う。
家族のために頑張るのが、生きがいの第二段階だと思う。

でも自分の想いがすべてかなうことは無い。
家族を含め、自分の想いを次世代につなぐのが、生きがいの最終形であろう。

雑学の首飾りをつける

2016.08.31.Wed.21:13
「20時間の法則」の提唱者による元の意味を詳しく知らないが、私は次のようにかみ砕いて理解している。

知識量は勉強量に正比例しない。勉強時間を増やしても、点数の上昇率は次第に逓減していく。1杯目のビールが一番うまくて、2杯目、3杯目とうまくなくなってくるという、ミクロ経済学でいう限界効用の概念と同じである。0から初めた新しいジャンルの勉強時間における、この"1杯目のビール"に該当する勉強時間が20時間である。

もちろん20時間勉強したところで、専門家には到底かなわない。しかし、まったく知らない人と20時間勉強した人との差は、20時間勉強した人と40時間勉強した人との差、100時間勉強した人と120時間勉強した人との差よりも大きい。限界効用が逓減しているのである。

20時間の勉強でもちょっとした話ができる程度の雑学を得ることになる。20時間ならば、たとえば平日の昼休みの30分、40日間かければ到達する。

雑学は直接的には何の役に立つのかわからないものがほとんどだが、それらをつなぎ合わせると、他のことに援用できる。洞察力が生まれる。

雑学が雑学を呼ぶ。これを私は"雑学の首飾りをつける"と呼んでいる。
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