スポンサーサイト

--.--.--.--.--:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

渡部昇一評論4部作

2015.04.10.Fri.00:09
私は渡部昇一先生の膨大な著作物の内の一部しか読んでいないが、それでも私に少なからぬ影響を与えている。35年前から南京大虐殺が無かったことを知っていたのは渡部昇一先生の本のおかげである。私はニューソート系の本もよく読んでいたが、大島淳一が渡部昇一先生のペンネームであることを知った時は本当に驚いた。

渡部先生が40代の充実していた時期に書かれた本で、私が渡部昇一評論4部作と勝手に名前を付けている4冊の本がある。

「文科の時代」(文藝春秋 1974)「腐敗の時代」(文藝春秋 1975)「正義の時代」(文藝春秋 1977)「新常識主義のすすめ」(文藝春秋 1979)

今改めて読むと多少の内容の古さは否めない。しかし、1970年代は、陰に日向にソ連中国社会主義国を美化していた左翼のクズ本が多い時代である。資本家が私利私欲を追及するから公害が起きるのであって、社会主義国には公害が無いなんて言う人もいた。そのような時代の中で書かれたこの4冊は、渡部先生の先見力が光る、知のトレーニング本といえよう。

この4冊の内容は多岐にわたっているが、全体として底流に流れているテーマは人間の理性に対する不信ではないかと思う。この点についていちばんはっきりと書いているのが「新常識主義のすすめ」収録の「不確実性時代の哲学」であり、渡部先生はヒュームを再評価している。

哲学の入門書には、イギリス経験論のロックは物体と精神の実在性を認め、バークリーは物体の実在性を否定したが精神の実在性は認め、ヒュームは物体だけではなく精神の実在性も否定した、みたいなことを書いている。実はヒュームの人間の理性に対する不信は、哲学だけではなく、政治論、経済論、英国史などの通俗的著作にも貫かれている。

ヒュームの史観は、人間は理性によって社会契約を結んで歴史を作っていくものではなく、慣習に導かれて事を処理していくものである。この慣習は固定したものではなく、その時々に方向を変えるものであって、予想も予断もなかなかできない、というものである。

フランス革命は、革命を起こした人は新契約(ルソーの社会契約論による)の理想国家を作るつもりでいたが、ロベスピエールやナポレオンの独裁を予測できなかった。イギリスは共和制よりは君主制の方が望ましい国体であるとした。ロシアや中国のような政治的自由を知らない国では、頭の中で空想しただけの共産主義を革命という形で敢行し、恐怖政治に終わった。

自然科学と異なり、社会科学は変数が多すぎて理想家の理想通りにはならない。ヒュームの史観は人間の時代は常に不確実性の時代であることを示している。不確実性時代が常態であって、確実性な時代とは特定のイデオロギーに託された幻想に過ぎない。
コメント

管理者にだけ表示を許可する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。