天職(プロ論)

2015.02.26.Thu.23:34
昔小室直樹の本をよく読んでいた。博識もさることなから漢文調の独特の文体が好きだった。急性アノミーなんて言葉を知ったのも小室直樹の本からである。ただ小室直樹も今一歩というところで民族主義が正しいということに気が付かなかったようだ。理論派受けしない泥臭い思想だったからだろうか。

小室直樹の本に時々出てくるのがヴェーバーのプロ倫(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)の話である(「日本人のための宗教原論」など)。

宗教改革の主導者及びその先駆者たちは、聖書だけが唯一の権威である、予定説が正しい、世俗的職業においても行動的禁欲が適用される(カトリックでは修道院の中だけに存在した)と主張した。キリスト教の本質は予定説にある。予定説の論理は、誰が救済され、誰が救済されないかということは、神が一方的に決めていて必ずその通りになる、ということである。善行すれば神に救われるというのは、人間が神を下に見ている思想だ。神の考えは人知を超えている。受験する前から合格者は既に決まっているという考えだ。ただ予定説だと、どんなに考えても(神の考えは人知を超えているから)自分が救われているかどうかの確信が得られない。

こうして宗教改革以降、人々のエトスが根本的に変わったのだという。人々は天職を通じて救いの確信を求めた。天職に励んで聖書を読んで、そして利子と利潤が正当化され、利潤が蓄積されて資本主義が誕生したのだという。これだけで資本主義の成立のすべてを説明しているとは思えないが、そういう話です。

ではキリスト教国ではない日本でなぜ資本主義が発達したのか。小室直樹と親しかった山本七平の「日本資本主義の精神」(光文社1979)によると鈴木正三と石田梅岩の影響が大きかったという。(その他ベラーというアメリカの社会学者が日本の資本主義の成立に石田梅岩の「石門心学」の影響を指摘しているようだが、私はべラーという人の本は読んだことがない。)

石田梅岩の教えは石門心学と呼ばれた。世俗の業務は宗教的修行であり、それを一心不乱に行えば成仏できるとし、当時は賤しいとされていた商人の営利活動を積極的に認め、結果としての利潤は善であると言った。商業を商道として哲学にまで押し上げ「正直・倹約・勤勉」を奨励し、日本の資本主義化を推し進めることとなった。

石田梅岩は日本経営哲学の開祖ともいうべき人で、松下幸之助が生涯尊敬していた人である。石田梅岩は「すなわち心は形となって現れる。何かの形はそのものの心を表している。したがって正しい行いをしたければ、正しい心を持たなければならない」などどニューソートっぽいことも言っている。

私はプロ倫や石門心学を踏まえ、縁があってついている今の職業を天職と考えることにしている。勤勉の精神が無い人は薄っぺらい。プロは結果として無駄な調査や努力もする。私はプロ倫をもじってプロの心構えをプロ論(プロの論理)と言っている。
コメント

管理者にだけ表示を許可する