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第2第3の植村を育む風土

2014.12.24.Wed.22:31
今年の4月頃から、北星学園大学が慰安婦捏造記事を書いた元朝日新聞記者を講師として雇用していることが問題となっている。しかし講師になるのに必要な資格や要件などは大学が講師として認めること以外には特になく、外部の人が合法的に辞めさせることなどできない。

一方、外部の人が辞めさせるなと騒ぐのもおかしい。
植村氏と彼を雇用した北星学園大学を支援する「負けるな北星!の会(マケルナ会)」なるものがあって、その会が主催したシンポジウムに、植村氏とは反対の見解にある人が入場しようとしたところ、屈強な数名の男に囲まれて、追い返されたという。反対意見は門前払いというのは北海道新聞と同じ世界である。
負けるな北星!の会主催の講演会(植村隆講師)に入場拒否されました

北星学園大学には北星学園大学附属高等学校という付属高校があって、北海道朝鮮学校との交流が盛んなようである。
相互理解 貴重な一歩 映画「パッチギ!」 高校生が語る会 道朝鮮と北星大付 日ごろの思い率直に(北海道新聞)
(魚拓)
2007冬 東アジア共同ワークショップ 北海道朝高、北星学園大付属高の生徒らが交流(朝鮮新報)
(魚拓)

朝鮮人強制連行で多く犠牲者が出た。北朝鮮による日本人拉致が明らかになった時には学校に脅迫電話が掛かってきた。日本人と朝鮮人の相互理解が重要だそうだ。

今、日本にいる朝鮮人は密入国者とその子孫なのだが、北星高校でそのようなことを教えているような雰囲気はない。

ネットで拾ったものを参考資料としてアップする。
『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21
『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕

被害者偽装集団と交流したところで、多感な若者が嘘に染まってしまうだけだろう。
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