演繹法と帰納法

2014.10.26.Sun.00:12
今年の8月頃から、戦時中の朝鮮人売春婦は日本軍による強制連行ではなかっただのと、朝日新聞の誤報が問題となっているが、そんなのは、いわゆる保守系の雑誌や評論家の本を読んでいる人たちなら、とっくの昔から知っていることであり、新しい話は一つも無い。(「文芸春秋1997年4月号」櫻井よしこ論文「密室外交の代償ー慰安婦問題はなぜこじれたか」など多数の参考文献あり)

左翼やヤヨクは、いつも平和、平等などの偽善語を吐いているが、その根底にあるものは単純な演繹法的推論である。
(ちなみに社会主義と共産主義、ナチズムとファシズムが異なるように、左翼とサヨクは異なる。)
参考サイト「左翼がサヨクにさよく時」

まず「日本は未だ共産主義に目覚めない遅れた、劣った、悪い国。社会主義国は常に正しい」という大前提があり、これにいろんな既呈命題を照らし合わせると、次のような(彼らなりの)必然的結論が出てくる。

1.シベリア抑留 → ソ連擁護、日本が悪い
2.朝鮮戦争 → 北朝鮮が韓国を開放し、そのまま海を渡って日本も開放してくれる
3.北朝鮮帰国事業 → 北朝鮮礼賛・北朝鮮は地上の楽園
4.日米安保 → 日本は戦争に巻き込まれる
5.文化大革命 → 美化礼賛
6.朝鮮人売春婦 → 日本軍が強制連行
7.中越戦争 → 惑乱。こうなることは判っていたと居直る。
8.林彪事件 → 理解の限界を超えている。思考停止。言い訳。

演繹法というのは大前提や既呈命題が間違っていたり、その包含関係が正しくない場合は、結論はまぐれ当たりを除いてすべて間違いになるという、単純で恐ろしい論理である。

一方、過去から現在にかけての多くの観察事象から共通事項を抽出し、一般命題化して左翼やサヨクの政治的発言は全く当たらないという結論を導く論理展開の方法が帰納法である。

帰納法的に考えると、特殊な研究家を除き、一般の人が左翼やサヨクの話を、わざわざ時間を割いて聞く値打ちがあるとはとても思えない。もちろん9回連続間違ったとしても、10回目には合っている可能性もゼロであるとは言い切れない。

しかしながら、日々膨大な情報を処理、分析しながら生活する中で、信用できない人や新聞社の文章を読んでも時間の無駄でしかない、というのが帰納法的な結論であり、私の立場である。
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