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生物の進化を考えると中央集権が正しい

2015.09.23.Wed.00:43
最古の動物は単細胞生物で、次いで細胞同士がくっついて多細胞生物が生まれ、細胞同士の情報伝達システムが発達し、多細胞生物が神経を持ち始め、神経が集まった部分が神経節となり反射運動をするようになり、神経節が大きくなって脳となり、脳がどんどん発達して人類が誕生した。人類の歴史を見ても小規模集落が大規模集落となり、やがて都市国家となり、そして地域勢力が争う分権国家から中央集権国家が生まれた。

日本では特に1990年代後半以降、地方分権化が進められているが、進化に逆行しており良くない。分権した分だけ敵に付け込まれる。地方自治は英国・米国の制限列挙方式も、ヨーロッパ大陸の包括授権方式もどちらも良くない。中央政府が支配しない分だけ敵性外国が支配することになる。"欧米・日本は先進国"というのは敵性国家のほめ殺しである。

今の日本は、外国から見ると、知事が外交?をしたり、国防に口をはさんだりしており、日本政府に直接的な働きかけが駄目な場合でも、地方から日本攻略が可能な状態となっている。

なんで素人が無い頭で政治ごっこをするのか。古くは神戸市が核兵器の港への持ち込みを拒否したり、沖縄知事が米軍基地用地の代理署名を拒否したりして中央政府を混乱させた。現在沖縄は日本政府が支配していない分だけ敵性国家が支配している。
札幌市も道新読んでます程度の貧しい情報で、従軍慰安婦への謝罪と賠償を求める意見書を1992年、2008年、2012年の3回可決しており、その後取り消すわけでもなく、ノー天気にオリンピック招致なんかしている。

地方分権の強化など愚の骨頂である。明治政府を幕藩体制に戻すようなものである。神経節をたくさん作ってもしょうがない。賢い脳を一つ作るのである。日本の進むべき道は、地方分権の強化ではなく地方自治権を縮小することであり、動物の進化と同様、中央集権を完成させることである。
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難民は銃で突き返すのが正しい

2015.09.19.Sat.09:25
先日イスラエルの首相が、不法移民やテロに対し国境を管理しなければならないとして難民受け入れを拒否したが、正しい対応である。湾岸アラブ諸国も難民受け入れに消極的だがそれも当然である。

人間とは同じ人種が群れる生き物である。何百年も何千年もに渡り、その民族固有の生存方法を作り上げてきた。難民とは自分たちの生存圏に侵入し、自分たちの伝統や文化を破壊する存在である。難民は、初めのうちだけ"助けてくれてありがとう"だが、そのうち助けてやった恩も忘れて、だんだんずうずうしくなってくるものである。難民受け入れ国内で難民同士で群れるようになる。

日本にも、密入国朝鮮人(密航鮮人)や徴兵逃れで日本に逃げてきた朝鮮人とその子孫がいるが、ずうずうしい存在になっている。内外に俺たちは強制連行されたなどど大ウソをまき散らしている。朝鮮で朝鮮人同士が嘘をつきあっている分には、そういう文化なわけだから勝手にやって下さいだが、嘘をつくというのは日本にはなじまない文化である。

不動産でも、自分の家だと大事にしてかわいがるが、借りている家は、どうせ自分のものではないからと大事にしない傾向がある。日本にいる異民族にとって、日本は利用するだけの存在である。日本民族だから日本を大事にするのである。

難民排除は極右などではなく、人間としてごく正常な感覚である。民族主義の目標は、各民族がお互いの文化を尊重し合って固有の領土で生活することである。日本は難民側から見て希望がない国にしなけれならない。

(参考過去ブログ)
「移民は民族の生態系を破壊する 2015-01-12」

文系か理系かと言うが

2015.09.13.Sun.22:15
昔、アポロは月に行っていないと主張し、そんな本も出した副島(そえじま)某というトンデモ評論家だか経済学者だかがいた。アポロが月に行ってないなど一瞬で嘘だと見破らなければダメだ。副島某はサイエンスの部分が、かなり弱い人である。
ところが本屋に行くと恐ろしいことにこの副島某の本が結構置いてある。これは一種のギャグとして読まれているのであろうか。

経営学や株式投資などはよくアートなのかサイエンスなのかと言われるが、その両方を併せ持っている。いやどんなジャンルでもその度合いが異なるだけで両方併せ持っている。

文学だって多少はサイエンスの要素もあるのではないか。フィクションでも(あくまでもその本の世界内で)論理的になるほどと思わせるリアリティがないと面白くない。数学だってアートな部分もあるように思う。天才的なひらめきはアートの世界なのではないか。

私の興味は広く浅い。自分の職域を除いて、特段これという得意ジャンルもない。ただ何事においてもアート(文系)とサイエンス(理系)を駆使して考えるようにしている。

岩倉具視の観光

2015.09.11.Fri.21:42
私が現在進行で読んでいる唯一の漫画は「風雲児たち」(みなもと太郎)である。みなもと太郎は創価学会で、漫画にも軽度のサヨクが混じるが、全体として面白い。大作である。この漫画はいわゆる幕末ものの漫画であるが、幕藩体制崩壊・明治維新の遠因は江戸幕府の成立にあるとして、関ヶ原の戦いから描き始めている。

まるで徳富蘇峰(とくとみそほう)の「近世日本国民史」の世界である。蘇峰は始め「明治天皇御宇史」を書くつもりだったが、明治を書くためには幕末を書かなければならない。幕末を書くためには徳川時代を知らねばならず、徳川時代を知るためには豊臣時代を知らねばならず、豊臣時代を知るためには信長を知らねばならず、こうやってさかのぼって建武の中興あたりが明治維新の遠因になるとした。だがそこから始めたのでは明治までたどり着かないから、信長の時代から書き始めたのだという。

今「風雲児たち 幕末編 26巻」で凄い悪人顔で描かれている岩倉具視が、公武合体(和宮降嫁)運動で大活躍している。私にとっては岩倉具視は500円札よりも「観光」のインパクトの方が高い。岩倉使節団の「米欧回覧実記」に岩倉具視の達筆で「観光」と書いてある。

観光の語源はものの本によると易経のなかの「観光之光、利用賓于王(国の光を観るは、もって王に賓たるによろし)」に由来するそうだが、一般的に使われるようになったのは明治以降のようである。江戸時代までは旅とか旅行(たびゆき)という言葉を使っていたようだ。八隅蘆庵(やすみろあん)の『旅行用心集』(1810年、現代語訳も出ている)も旅行であって観光ではない。ちなみに旅行用心集に旅立って2~3日は良く休んで足を痛めるな、足を痛めると旅の間中苦しむと書いてあるが、私はつい無理をしてしまう。4月の腰痛も旅行2日目の歩きすぎが直接の原因であり最後の藁であった。

旅よりも観光の方が格調の高い意味で使っていたようだ。旅は国内で、観光は国外である。岩倉具視の「観光」の光は西洋文明の光であろう。幕末・明治の人にとって西洋文明は光だったのである。

今、西洋文明の光は弱くなったように思える。白人の本来の居住区は移民という外来種にすっかり侵食されてしまった。異民族が嫌いなのは生物として当たり前の感情である。自分たちの生存が脅かされるからである。欧州人はなぜ健全な警戒心を捨てたのか。欧米はリベラルに負けた。
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